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8/26 イノベーションキャピタル株式会社 高橋四郎さんインタビュー

   ↑  2013/09/10 (火)  カテゴリー: 講師取材記事2013
いつもブログをご覧頂いている皆さん、こんにちは!
ハーベストインターン生の熊頭(クマズ)美智子です。

今回は、高橋 四郎さんにインタビューして来ました。
高橋さんは、以前ソニーに勤め8mmビデオやリチウムイオン電池を商品化するなど、様々な業績をおさめた方です。現在はご退職され、東北イノベーションキャピタル株式会社の取締役をされています。退職されても地域のベンチャー企業のためにと邁進される高橋さんは、ゴルフが趣味だそうですが、仕事があって初めてゴルフが楽しいと思えるとお話されていました。学生である私以上にアグレッシブな方です!
そんな高橋さんに、ソニー時代に商品化した物、今イノベーションキャピタル株式会社でどのようなことをされているのかを中心にお話を伺ってきました。

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Q1. 農村の10人兄弟で、勉強する時間がなかなか持てなかったにもかかわらず、なぜ大学に進学したいと思ったのですか。

『高校に行った時に、自分が知らないような考えや知識を持っている町場の人が数人いて、「この人たちと議論しても負けないくらい学びたい」という好奇心と向上心が、大学に行く、という考えを助長しました。実家では家業の手伝いに追われていたため、この土地から出て広い世界を見たいという気持ちが小学校4年生の時からありました。岩手が一番近い県北だったため、岩手大学への進学という道を選びました。浪人も許されず確実に入れる所にしました。』

Q2. ソニーに入社したいと思ったきっかけは何だったのでしょうか。

『ソニー㈱仙台工場で、アンテナなどに利用する高周波磁性体のフェライト(現在はテレビ、ハードディスク、ビデオ、ゲーム機などに応用されている)の開発をしていることを知り、当時フェライトはまだ開発の途上だったため、開発に携わりたいと強く思いました。また、ソニーでは、テープレコーダーやトランジスタラジオ、8インチの白クロトランジスタテレビが開発されていました。それらの製品が大変新鮮だったため、惹きつけられ、是非ソニーに入社したいと思いました。本社の役員面接で社長に「どんな仕事をしたいの」と云われ、フェライトの開発とソニー製品での応用ときっぱり言いました。』

Q3. 8mmビデオ、リチウムイオン電池などを商品化する際に必要な能力とは何ですか。

『“Makes the difference ! ”
この言葉は、ソニーの昔のスローガンでした。日本語にすると、「人のやらないことをやろう」。先輩、本にはない物を作ろうとする探求力がまず必要になってくると思います。これは技術系だけに限らず、文系も管理システムなど真剣に考えます。
新しい物を作るために、逆に磁性体の物理の原書を読み、基礎を勉強しました。また、8mmビデオを開発しようと決まった時は、VHSに負けてソニーの業績がガタ落ちという状況でしたので、業績回復のために、サイズを1/10にし、磁気記録密度を10倍にして3年間で商品にするという課題が課せられました。メンバーが150人くらいいたが、そんなの、短期間にできっこないという顔をしている人々を引っ張る力が必要でした。その事業を引き受ける時、事前に原理に反していないか、論理的に無理な飛躍した内容が含まれてないか充分に吟味します。後は絶対完成出来ると姿勢を崩しません。最初はみんな出来っこないという顔をしていましたが、一夜明けてもう一度メンバーを集めたら、不思議と「できたら面白いね」、「やって見たいね」と変わる、「将来はポケットに入れられるビデオにしようよ!」とみんな意気込んでいました。
その後のリチウム二次電池の工業化の時もそうでしたが、皆で死に物狂いの仕事をします。しかし完成し、市場で喜んで貰い、会社からも褒められると、本当に出来ないと思っていたがやれたねと報いられます。これが生きるということなのだと皆で語り合います。』

Q4. イノベーションキャピタル株式会社では具体的にはどんなことをされていて、日々どのようなやりがいを感じていますか。

『63歳で退職する前から、県の手伝いでプロジェクトマネージャーとして支援したりしていました。今では、国や県などから出資してもらい、企業が栄えるまでハンゾン支援をして、投資したベンチャー企業が株式公開できるようにサポートしています。また、企業に対してだけでなく、学生が一流になれるようにと、遠くの大学にも出向きます。東北大学で企画されたプロジェクトのサポートを、先生方や企業と共に行っています。退職してからもソニー以外のところで地域の企業が高い水準の事業が展開出来るようにサポートする。それは使命であり、生きがいです。』
『震災は負の遺産というイメージが植え付けられていますが、見方を変えれば、被災地は大きな好結果をもたらしました。震災によって日本中は勿論海外からも沢山の著名人が駆けつけ、それまでよりも若い人達の野望が高くなり、しかも外に目を向けるように変わっていったのです。』
また、今大河ドラマで話題の八重を例に挙げ、女性なのに鉄砲を極めようとした発想はもちろんのこと、そこから鉄砲隊の隊長になり、その後女学校で教育活動をした後、本当の新しい日本を作ろうと奮起し、会津一か所にとどまらずに新島襄と共に京都で同志社大学創設に携わっていった逞しさを褒めたたえていました。

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最後に、“世界を駆け巡ったご経験”や“大切にしたこと”についてメッセージをいただきましたので、ご紹介します。
 
ソニー時代の生産活動での経験は、後々まで役立つものでした。磁気テープやディスクのアメリカ、メキシコ、フランス工場の改善活動からからタイ、イタリアの工場設立。土地探しから立ち上げ、利益体質になるまでのマネージメントの責任を持ってやりました。海外でのマネージメントはその土地の人間、風土、文化を心から尊重することと、出来るだけ早くマネージメント責任の現地委譲をしていく事です。
平成バブルが弾けてコンポーネントカンパニーの生産工場が軒並み売り上げ半減で数十億円の赤字になり、工場閉鎖の予定されていた所まで有った。私が挑戦して再生の見込みが立つならチャンスを与えるというトップ命令だった。1994年から、コストを2年間で半減するというスピードを掲げて活動した。宮城(2工場)、千葉(2工場)、静岡、シンガポール、中国の7工場を引き受けた。1~3年間で、2桁経常利益にするまで全員活動の横串マトリックス組織運営を行った。通常の工場長以下のピラミット組織に特命プロジェクト長が横方向から部課長を指揮する方法を取った。初めての所でマネージメントする時は2年で50%下げるというのは、1か月で2%位ですと、始めの3~6か月以内に信頼を得ることが大切です。
最初はそれまでになく厳しかったが、達成して全員で喜びを分かち合う仕事は不可能を可能にする開発と又同じでした。

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今の若者に、一か所にとどまらず、みんなと接しながら知恵を発揮していくことの大切さを伝えていきたいのだと感じました。私もこのインタビューで学んだことを活かし、宮城県だけでなく、様々な世界を見て、沢山の人と関わりを持って視野を広げていきたいと思います。
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(記事編集) http://autumn2009.blog99.fc2.com/blog-entry-1221.html

2013/09/10 | Comment (0) | Trackback (0) | HOME | ↑ ページ先頭へ |

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